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団らんを究める日々

この世に足りないのは「団らん」だと思う。本物の団らんとは何かを追い求めるブログ。

ボクたちは大地の上で遊んでいるだけ。

「ボクたちは大地の上で遊んでるだけなんだな」という感覚に浸ることが最近よくある。

ボクたちは、それぞれのコミュニティや学校、会社、国に所属しているけれども、地球という一つの家に住んでいる。

自分の好きなことやったり、我慢したり、
気持ちを伝えあったり、口を閉ざしたり、
感動したり、嘆き悲しんだり、
挑戦したり、躊躇したり。

そうして、肉体という容れ物を通して、遊んでいる。

遊びに没頭するのか、
惰性で遊ぶのか、
それは本人の選択。

没頭している時って、
とにかく「いま、ここ」に集中していて、
目的とか目標とかは意識せず、
その一瞬一瞬を、只々楽しんでいる。

遊びには絶対的なルールが一つだけあって、
肉体のレンタルには期限があるということ。

期限を過ぎると、ボクたちが「心」と呼んでいるものは、肉体から離れて「魂」という名前に変わる。

レンタルというからには、再び貸出があり、

次はどういう肉体を借りるか、どういう人生を送るかを、

魂(自分)が、事前に、自由に選ぶことができる。

そもそも、地球というステージを選ぶのも自由で、
制約の多い、肉体という容れ物に入る入らないも自由。

過去の人生の反省をするのも、しないのも自由。
どこの国に生まれて、どんな親を選んで、どんな病気や障害をもって生まれてくるのかも、自由。

ホラー、アクション、サスペンス、コメディ、恋愛、SEX。
どんな感覚をどんな強さで味わいたいのかも、自由。

選んだら、神様的な存在に遊びのプランを見てもらう。
神様は、「わかった。あなたを見守っているよ。あなたはわたしのように、自由にクリエイトできる力を持っているよ。」といつも応えてくれる。

自分で選ぶのだから、人生で起こることは大体予めわかっていて、それは「潜在意識」というところに保存される。

そして、なぜか、産道を通ってくる前後で、キレイさっぱり忘れる。

「思い出す」ことが遊びの醍醐味だからだろう。

真面目に遊ぶ人ほど、きっと、思い出すのは早い。



そろそろ真面目に遊んで暮らしたい。

大地の上で、
笑いながら走りまわったり、
唄ったり踊ったり、
思いを叫んだり、
美しいものをみて感動したり、
手をつないで寝転んだり。



30年間遊びを知らなかった(忘れていた)自分の、
心のまんなかから、そう聞こえてきた。

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◆久米川裕治のFacebook